「震災は繰り返される、だから決して忘れず語り継いでいかなければならない。」
全青みちのく理事会の翌日、2024年9月15日に東日本大震災、震災遺構を視察しました。
1.視察の目的
2013年の仙台全国大会翌日に被災地を視察したことがあり、いま2024年に改めて視察することにより、後世に伝え継いでいただきたいとの高橋会長の思いにより実行しました。
2.視察先
門脇小学校、旧防災対策庁舎、南三陸さんさん商店街、大川小学校の順に貸切バスで視察しました。

3.集合から門脇小学校へ
朝9時、仙台駅東口に有志28名が集合し、観光バスに乗り込み出発。
地元バスガイドさんの豊富な知識と滑らかな説明のおかげで、飽きることなく道中すすみます。ガイドさんによれば、バスが走行した三陸縦貫自動車道(仙台市~青森県八戸市)は、この自動車道がなければ内陸に物資を運ぶことができなかったことから、震災当時「命の道」と呼ばれていたそうです。
4.門脇小学校視察
到着すると廃墟のような校舎が目に入ります。門脇小学校は津波火災の痕跡を残す唯一の震災遺構で、校舎の一部が当時のまま保存されており、津波火災のすさまじさを目の当たりにしました。避難を考えるとき、垂直避難だけでは難しい一面があることを伝えています。
展示館にはひしゃげた被災車両や、体験者の記憶を言葉と絵で表現した「記憶を紡ぐ」という展示があり、とても辛く悲しく、涙なしには見られませんでした。今を生きる私たちに、当たり前の日常は当たり前ではないと訴えかけているように思えます。




5.旧防災対策庁舎と南三陸町震災復興祈念公園
さんさん商店街の裏側にある、川を渡った広い敷地に旧防災対策庁舎があります。地震発生3分後の津波予想は6メートル。しかしその25分後には10メートル以上に引き上げられ、実際に到達した津波の高さは15.5メートル。それに対して庁舎屋上の床の海抜は14メートル弱。屋上に逃げたものの犠牲となった方々に、祈りを捧げ献花しました。津波後に残ったむき出しの赤い鉄骨と、ひしゃげた外階段が津波の威力を物語っています。



6.南三陸さんさん商店街
2013年当時は仮設商店街でしたが、2017年に町の中心地に震災後8.3mほどかさ上げされた高台の造成地に本設としてオープンしていました。ここで参加者お待ちかねの海の幸ランチタイム。私もすぐにでもお店に飛び込みたかったのですが、ちょうどこの時間に東京から来たビッグバンドの演奏が始まり、しかもこのバンドに知人が参加していたため、空腹を忘れてビートに体をあずけました。旅費等自腹で訪れ、毎年演奏しているとのこと。来場者がランチのひと時に演奏を聴きながら楽しそうに賑わっていたので、この活動も復興の盛り上げ役となっていることでしょう。
さて私のランチは、この知人に教えてもらったお店で自作の海鮮丼。好みの刺身等をピックアップし、ご飯をいただきその上に自分で刺身等を乗せていくもの。好きなネタしか乗っていないので当然大満足です。




7.大川小学校
敷地内に入ると、ねじり倒された渡り廊下など津波の威力の強さを物語る遺構が目に入り、言葉を失いました。映像や画像で見るそれとは違う何か。圧倒的な威圧感と恐怖と悲しみ。あの日がなければ、今日も児童たちのにぎやかな声がこだましていただろうに。
あの日、高さ8.6mもの津波が学校をのみこみ、児童108名中74名、教職員10名が犠牲になりました。海からは3.7km内陸に位置しており、津波は到達しないと思われていましたが、大津波は川を遡上し、大川小から避難する児童らを前面から津波が襲いました。敷地内にある大川震災伝承館ではあの日の出来事の詳細や展示室があり、私たちに多くのことを伝え、問いかけています。
今回の視察の最終地であるこの場所で、参加者一人一人が哀悼の意を込め献花台に花を手向け、祈りを捧げました。




8.終わりに
東日本に住む私は震災では大きな揺れに恐れおののきましたが、幸いにも何も失っておりません。テレビでは被害の大きさを毎日見ていましたが、実際に目で見ると自分より大きくて頑丈なものがいとも簡単につぶされてしまうことに愕然としました。いくらテクノロジーが発達しても、震災は繰り返されます。その時に被害が最小で済むよう、これらの遺構が教訓となるよう、伝承していくことに意義があると強く感じました。
今回の観光バスではガイドさんがたくさんの知識を披露してくださり、座りっぱなしの車内でも飽きずに過ごせました。ただ一つ申し上げたい。車外に見えたモニュメントを、石巻市にゆかりのある石ノ森章太郎先生のキャラクターである仮面ライダーと紹介していましたが、その場にあったのは、正しくは人造人間キカイダーでございます。小学生のころ、サイボーグ009ファンの兄と共に古本屋めぐりをしたことを懐かしく思い出しました。
<東京青税 M.Y.>